ままになってからのADHD診断

こんにちは。今日は日曜日です。みなさんどのようにすごしていますか?

さて、今回は私がADHDの検査をしにいくことになった経緯について書けたらいいな

と思いパソコンの前に座っています。

夫は朝早くから娘を連れて公園へ行ってくれたようです。

なぜ〝くれたようです〟なのかというと、朝なかなか起きれませんでした。

この〝やる気が起きるまでに時間を要する〟というのもADHDの特性らしいです。

この前本屋さんで知りました。

うまくいかなくて、どうしようもなくて、泣きながら車を運転して本屋さんに行ったら

どうして私の気持ちがわかるの。。と思うほど本にたくさん書かれていて救われました。

というのがつい先週のお話です。

特性特性というと怠けてるだけじゃんと感じますよね。

でも〝やる気をだすにはどうしたらいいか〟についての本があったんです!

これはほんの一例に過ぎませんがキーワードは〝やる気の炎を絶やさせない〟ことだそうです。

例えば、「ここまで出来たらチョコレート一個食べよう!」とか合間にご褒美をうまく取り入れるといいそうです。

前置きが長くなりましたが、本題に入りますね。

目次

大人になっても時間が守れない?!

子供のころから時間通りに行動するのは苦手でした。

けど大人になればみんなと同じように出来ると思ってました。

小学生の頃、母に吹奏楽部に入部させられました。理由は朝練があるからです。朝練の時間に学校に行っていれば始業時間に遅れることはありません。母なりの授業に遅れないための工夫だったのです(そのおかげで音楽が大好きになりましたが)

学生の頃はアルバイトで初日に遅刻して返されて、泣きながら帰ったことがあります。

社会人になって空港で働いていた頃は出勤時間が不規則だったので、間違えないようにスケジュール帳に

始業時間・バスに乗る時間・乗り換え時間、空港到着時間をびっしり書き込んでました。

自分ではすごく頑張っていたんです。

それでも大遅刻をしたことがありました。

このように大人になっても結局時間を守る(時間を把握する)ことが出来なかったのです。

プライベートも同様です。

友達は〝〇〇は遅れてくるのが当たり前〟というスタンスで接してくれます。

むしろ時間通りに到着した時には「え、どうしたの(笑)」と驚かれるくらいです。

友達の理解もあり今でも仲良くしてくれています。

夫も同じくです。

なぜなら、「はじめまして」のその日に1時間も遅れて到着したのです。

第一印象は最悪だったと思います。

このように私は子供のころから大人になった今も時間を把握することが苦手なのです。

人の話を聞いていられない?

あれはお正月が過ぎたころだったと思います。

育児に疲れてなのか、

夫と喧嘩(口論というよりも朝からずーっといやーな空気が流れ続けている感じ)になり、

わたしは「自分がここに居ない方ががいい、私が居ない方が二人は幸せに暮らせる、私なんてなんの役にも立たない」

この考えに陥ってしまい、居てもたってもいられず家を飛び出しました。

しんしんと雪の降っている夜でした。『ちょっと買い物いってくる』と伝え家を出ました。

もうこのまま実家に帰ろうかな、でもそんなことをしてしまったら私たちはもう終わりかもしれない、、

そんなことを考えながらマイナス気温の中を宛もなく歩き続けました。

怒りになったり、悲しくなったり、忙しいわたしの頭の中

たどり着いたのはドラッグストアでした。寒かったしお店にしばらくいました。

そこで〝夫婦喧嘩〟〝上手な夫婦喧嘩〟など、googleで検索していました。

確か、あいぼんを買ってお店を出た記憶があります。

そこからまた、とぼとぼ歩いて家の近くまで来たものの、まだ家に戻ろうという気にはなれません。

次は、車の中にしばらくいることにしました。

最終的に1時間ほど家をあけたでしょうか。

家に戻ったら、夫はすでに娘を寝かしつけてくれていました。

私は「今日は育児も家事もなにもしなくてごめんなさい、挙句長時間家を空けてごめんなさい」と気持ちを伝えました。

また、「あなたが私の何に不満を感じていたのか話してくれたけれど、私はあなたの話が長くて集中して聞いていられないし、一つのキーワードに執着しすぎてほかの話は一切入ってこなかった」と正直に夫に伝えました。

私には話が理解できなかったのです。泣きながらそう話した記憶があります。

(後々わかりましたがこれもADHDの特徴のようです)

それから、過去(結婚前)に実家で暮らしていた時も同じようなことがあったと夫に話しました。

とあるトラブルがあったときに、わたしは両親の言っていることがなかなか理解できなくて両親は困り果て、

わたしは怒りと悲しみで泣いていました。

そんなとき間に入ってくれたのは遠方に住んでいた兄でした。

両親から聞きつけたのか電話をくれて

兄の説明のおかげで両親がわたしに何を伝えたかったのか、ようやく理解することができました。

兄はわたしの特性を理解していたというよりも

小さい時から一緒に育ったので 〝伝え方を熟知していた〟 という感じだと思います。

このように、「人の話を集中して聞き続けられない」+「時間を守れない」

というキーワードから「もしかして、、」という話になり、夫と相談した結果、メンタルクリニックで検査を受けてみようとなりました。

夫に付き添ってもらったメンタルクリニックに関しては、また次回書きますね。

□本記事は以上になります。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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